花と少女と白猫パヌイ – Filorondiah and Pahnuy

 フィロランディアと白猫パヌイのお話。


「フィーは行かなくて良かったのかニャン?」

 押し花で作った栞を、“フィー”ことフィロランディアは読みかけの魔法書に挿す。そして声の主──背中に生えた真っ白な鳥の翼を羽ばたかせる、パヌイという名のメスの白猫──を見やった。「いいの、べつに」

「素直じゃないニャね。本当はラジアメルスのことが心配なくせに」

「……ラジアメルスは、きっと大丈夫。リドゥイアスもいるから」

「フィーと違って、偉大な父王ラドゥイアゴスの大魔法が使えないあの王子さまが、ラジアメルスを守れると思えるのニャ?」

「ラジアメルスは、強いから。魔法が苦手な分、あの子は王から剣術と銃の使い方を習ってる。それにリドゥイアスは、攻の魔法は下手だけど、守の魔法の才能は本物だから」

「ラジアメルスはさておき、あの馬鹿王子は過大評価しすぎじゃないのかニャン? 魔法は攻撃できてなんぼのもんニャ。それニャのに」

「王だったら、そんなことは言わない。力は正しく使うべきだわ。大魔法は、死神が狩り損なった魔物にだけ使うべしって、一番最初に教えられるもの」

「ふーん。そっれにしてもフィーは、黄金の王が好きニャのね。パヌイは苦手ニャ、あの王様。男なのか女なのか分からニャくて。それにあのジェドと知り合いとか恐ろしくてニャー」

「男3、女7」

「ニャ?」

「王の性別」

「……それって、ほぼ女じゃニャいのかニャ」

「だから、黄金の魔女って呼ばれてる」

「ニャー。そういうことかニャ。ニャるほど」

 ぱたぱたー……と忙しなく動くパヌイの翼は、フィロランディアの頬をぺちぺちと叩く。うざったそうにパヌイの翼を払いのけるフィロランディアは、閉じた分厚い魔法書の背表紙で、パヌイの小さな頭をごつんと叩いた。「イニャッ!!」

「パヌイ、しつこい。やめて」

「ゥニャァー。だって、ラジアメルスにはフィーが必要ニャー。今ならまだ船に乗る前だから、走れば間に合うのニャよ?」

「ラジアメルスは17歳。古代人だともう大人だって、アルバから聞いた」

「アルバ?! ニャっ、ふぃ、フィーはあのジジィを知ってるのニャ!?」

「ええ、信天翁あほうどりを連れたひとでしょう。だから、大丈夫。私のことは、放っておいて!」

 フィロランディアはもう一度、魔法書を振り上げる。すると長くて白い尻尾をブワァッと膨らませたパヌイは、椅子に座るフィロランディアの膝の上に降り、太股のうえで不貞腐れたように箱座りをした。

「……ラジアメルスがジェドの毒牙に掛かる前に、止めるべきだと思うんニャけどニャー……」

「そもそも、竜の方舟に行けるかも分からないのに。きっと無理だって言って、すぐ帰ってくるわ」

「……ニャーはそう思わないニャ。方舟の主、ジェドが裏で糸を引いてる。ジェドは絶対に、計画を遂行するニャ。そういう奴ニャ、あいつは……」

「……ジェドって、誰?」

 パヌイの尻尾が、ぱたんと動き、フィロランディアのお腹を叩く。それ以上は聞くな。そういうことなのだろう。

 フィロランディアはパヌイの頭を撫でながら、言った。

「……アルバさんの使い魔の信天翁は、いい子だったのに。私の使い魔は、かわいくない」

 ラジアメルスとは、17年ほど前に空からイグレスラッド島に落ちてきた古代人の赤子だ。今では立派な青年に育ち、あれだけ小さかった背丈も、ついにフィロランディアを越えた。

 そして黄金の王の寵愛を受け、リドゥイアスと育ち、フィロランディアに勉強を教わった青年は、自分の出自を探すという危険な旅に出ていった。空の上の大陸、竜の方舟に行くという旅に。

「ラジアメルスは大丈夫。だってあの子は、強いから」

 鳥のように空を飛ぶ技術を、地を這う生命は持ち得ていない。竜神の眷属種の背に乗れば別だろうが、地上に3柱いる眷属たち──黒のカミラ、緑のリルフ、赤のベムド──はかれこれ2億年ほど空を飛んでいない。

 太古の昔に滅んだ古代人たちは、飛行機という空を飛ぶ道具を持っていたそうだが……──高度な技術を持たない今の生命たちに、そんなものが作れるだろうか? とてもじゃないが、フィロランディアには可能だと思えなかった。

 竜の方舟になんか、どうせ行けない。だからすぐ帰ってくる。そう思っていたフィロランディアは、ラジアメルスの身をさして心配していなかった。

 だが、別の心配はあった。

「……問題は、リドゥイアスのほう。イグレスラッド島は王に守られているから、魔物が居ない。けど、島の外にはうじゃうじゃ居る」

 フィロランディアは魔法書を開くと、“魔物憑き”に関する記述を見る。そして眉をひそめた。

「心の中に入り込み、心を犯す凶悪な魔物たちに、魔物と対峙したことがないリドゥイアスが耐えられるかどうか……」

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