[Novels]
かつてその地に、栄華を極めた種族が居た。
その名は、ヒト。
けれども、かの者らは結果的に滅ぼされた。
何故なら、かの者らは大地を穢そうとしたからだ。
投下されれば一瞬で地は焼け、生命は熱に溶かされ死に絶える、
原子爆弾という、おぞましい殺戮兵器で。
であるからしてかの者らは、竜の神に粛清されたのだ。
その神こそ、エールケディスの守護者チャリス。
故にチャリスは、今なお虚空を彷徨うあの大陸から、
エールケディスの大地を見守っている。
大地が二度と穢されぬよう、地に這う生命を監視しているのだ。
――プロローグ
[Novelizations]
「エールケディスの旅人 ―風と共に流離う者―」 冒頭のみを特別公開
序章: 海と王女
――奢り高ぶるなかれ、生命よ。
汝らは極めて非力なる
小さき者の塊に過ぎぬのだから。
忘るるなかれ、生命よ。
汝らは灰から生まれ、
塵と消え逝く定めにあるのだから。
草木が生い茂る、肥沃な西の大平原。
白雪が降り積もる、極寒の北の雪原。
荒波が唸りを上げる、温暖な東の海原。
熱き太陽が照りつける、熱射の南の砂漠……――――
そこは“
永い歳月の中で培われた、膨大な知識を有する種族、エルフ。
マナの恩恵を大いに受ける種族、ホビット。
小賢しくも憎めぬ愛しさを持つ種族、ケット・シー。
強靭な肉体と巧みな技術を持つ種族、ドワーフ。
それぞれの種族が持つ特徴は大きく異なっているが、それぞれの種族が互いの長所を活かし合い、またそれぞれの種族が互いに短所を補い合い、理想的ともいえる共存関係を、このエールケディスで築き上げていた。
その中でもエルフは、不老にして長命の種族だ。そんな彼らの耳は尖り気味で、よく他種族からは「とんがり耳のエルフ」などと呼ばれていたりもしている。
だが一概にエルフといえども、彼らはその中でも更に、“始のエルフ”と呼ばれる二人の王と二人の女王の下、東西南北の四種に枝分かれしていた。
東のエルフ。それは“始のエルフ”が一人であるイグリザンドを女王に据える、気高い種族である。黒い髪に黒い瞳を持ち、肌は乳のように白く、顔立ちはやや平たい。耳も他のエルフたちと比べればそこまで尖っていないのが特徴だ。
そんな彼らは泰平の海にぽつりと佇む“ワノクニ”と呼ばれる島に住んでおり、故に外界から干渉されることをあまり好まない傾向にある。気高くもあり、気難しい種族でもあった。
北のエルフは“始のエルフ”が一人であるヤムリシェンドを女王に据える、タフな種族だ。明るい茶色の髪に、琥珀色の瞳をしていて、肌は処女雪のように蒼白く、顔立ちはやや角ばっている者が多い。耳はエルフの中でも一番丸みを帯びていて、形はホビットやドワーフの耳とさして変わらないのが特徴だ。
そんな彼らはユーゴルドキア大陸の北に広がる白の雪原ラッシェムアに住んでおり、故に逞しく、性格も勝気で他を見下しがちな傾向にある。勇敢でもあり、同時に高飛車でもある種族だ。
南のエルフは“始のエルフ”が一人であるガゼルゼンスを王に据える、豪快な種族である。黒に近い暗い茶色の縮れた髪に、黒い瞳をしていて、肌は黒木のように浅黒く、顔立ちは彫りが深く、唇が厚い。耳はエルフの中でも一番長く伸びていて、形も鋭く尖っているのが特徴だ。
そんな彼らは南に位置する灼熱砂漠のアレンティア大陸、その北に広がる光の砂漠ライタフィルズに住んでおり、体はとにかく丈夫で、性格は明るく陽気な者が多い。ライタフィルズには常に愉快な音楽が鳴り響いていて、陽気な種族柄が窺えるのだった。
そして西のエルフは“始のエルフ”が一人であるラドゥイアゴスを王に据える、やや孤立気味の種族である。光輝く金色の髪に、空色の瞳をしていて、肌はすべらかな陶磁器のよう。顔は面長な者が多く、中性的でもあり、どの種族よりも美しいと囁かれる。耳はそこそこに長く伸びていて、形も鋭く尖っていた。
そんな彼らは北西の海に浮かぶ孤島イグレスラッド島と、ユーゴルドキア大陸の西側、青の平原トレンティアナに分布して住んでいる。しかし、一概に西のエルフといえど、二種類が存在していた。
青の平原に居を構える“純粋なる西のエルフ”と、イグレスラッド島に居を構える“オルフェウスの子ら”は、似て非なる存在。……しかし、まあそれについては後々、語っていくことにしよう。
まあ、前置きはこれくらいでいいだろう。それに、堅苦しい説明なんてどうだっていいさ。どうせ読んでれば、こんな説明なんかなくったて彼らの違いに気付けるようになるのだから。
それでは、物語を始めようじゃないか。
これは東のエルフの王女、シルギザンドの物語。それと天使に見出された運命の少年と、歪んだ運命に巻き込まれた者たちの物語である。
うつら、うつら。まるで水面を揺蕩うように、体が揺れている気がする。それでいて、とても暖かい。まるで暖かな湯に浸かっているような、そんな気がしていた。
『……我が娘、シルギザンド。私にはあなたを、止めることはできません』
頭の中では、聞き覚えがある母親――東のエルフを統べる者、夕凪よりも優しき女王イグリザンド――の声が木霊していた。
『シルギザンド。あなたは、自由に大地を吹き抜けていく風。なにものも、自由なあなたを止めることはできないのです。そして私は、穏やかな夕凪。全ての舟を分け隔てなく受け入れ、疲れた体と心を癒すことしか出来ません。私にできるせめてものことは、あなたの帰りを待ち、あなたを受け入れる場所であり続けることだけ……』
あぁ、私はまた夢を見ているのか。何度も何度も繰り返し見てきた夢の中、朦朧とする意識でシルギザンドはその答えを導き出す。そして夢の中で、彼女はこう思っていた。胸糞悪い、と。
この夢は、彼女の過去の記憶だ。かれこれ一億と二千年だか三千年ほど昔のはなし。シルギザンドが初めて、島を出て世界を旅すると母に宣言した日。その夜の出来事だ。
あの晩。シルギザンドは早くに床に就き、瞼を閉じて呼吸を浅くし、寝たふりをしていた。翌朝には船に乗って旅立つという興奮と、ずっと過ごしてきた故郷を離れるという不安から、あの日は心臓が妙に落ち着かなくて……――そうすんなりとは、眠れなかったのだ。そうして寝たふりをしながら二時間が経つと、寝室の戸が開く音と誰かの足音が聞こえてきた。シルギザンドはそれでも、構わず寝たふりをし続けた。すると耳元で、あの母の声がしたのだ。
『ただ、これだけは約束してください。我が娘、シルギザンドよ』
どこまでも悲しそうで心細そうな、母の消え入りそうなか弱い声だった。これから一人で旅に出るという娘よりも、母のほうが心配で押しつぶされてしまいそうな雰囲気を出していたのだ。
母のことは、嫌いだったわけじゃない。父が事故で早くに死んでしまっているシルギザンドにとって、母はただ一人だけの肉親だ。当たり前のように、家族として愛しているつもりでいる。だが、どこまで母のことが好きかと問われれば……シルギザンドは口を噤んでしまうだろう。
母のことが嫌いなわけじゃない、愛していないわけじゃない。けれども、どこか母のことが苦手だったのだ。あまりにも優しくて、穏やかで、怒りもしないし苛立ちもしない母の超然とした姿が、怖かったのだ。だからシルギザンドは、逃げ出した。穏やかな母の傍を流れる優雅で平和で代り映えのしない日々を捨て、全てが未知の外界へと漕ぎ出したのだ。
『無事に、いつか必ず、母の許に帰ってくると。それだけを、約束してください。母からの願いは、それだけです……』
暖かな寝具の中で寝たふりを続けながら、うつらうつらとしているシルギザンドの横で、母は床に突っ伏して泣いていた。そのむせび泣く声を、シルギザンドは呼吸を浅くして聞いていた。
と、そのとき。シルギザンドの体が一際強く、何かに揺すられる。ぐらんぐらん。頭が揺れた。そして肩が痛い。まるで何かに捕まれているような……――
「――……ぃ、おい。そろそろ起きろ、シルギザンド。早くしねぇと、お前の朝飯が無くなっちまうぞ」
肩を誰かに掴まれ、その誰かに体を揺すぶられていたのだ。そして耳元で聞こえた声の主が誰であるかを理解した途端、シルギザンドは嫌な夢の世界から現実へと戻り、覚醒する。
あっと声を上げ飛び起きたシルギザンドを見ると、声の主――シルギザンドが乗っている船の船長であり、彼女の友人でもあり、南のエルフの王子――である男、ギズルゼンスはケタケタと腹を抱えて笑った。そして彼は目に笑い涙を滲ませながら、シルギザンドに言う。
「おはよう、寝坊助の暴風殿下。もう朝の七時半だ。船員たちはとっくに朝飯を終えて、お前の分はなくなってるよ。それに、あと二時間もすりゃ青の平原ユダレスト領に着くぜ」
「……ふぇぁ?! も、もうそんな時間なのか。あぁ、私としたことが。寝過ごすなんて。まだ下船の支度もできてないのに、そんな……」
「だーから、昨晩言っただろ。寝る前に支度しとけよって。お前は決まって下船する日の朝はいつも、バッタバタのどんちゃん騒ぎになるんだ。だから」
「あぁ、そうだ。全部、お前の言ったとおりになってる。助言を聞くべきだったよ」
船に乗るものは商会員であろうと客人であろうと、船長の言葉には従ったほうが良いってもんさね。ギズルゼンスはそう言いながら、褐色の肌から白い歯を覗かせる。彼はシルギザンドの顔を注視しながら、妙にニヤついてた。すると彼は、シルギザンドに言う。
「それよりだ、シルギザンド。お前、自分の顔をよく確認したほうがいいぞ。あと、よく顔を洗うべきだ」
状況を理解しているギズルゼンスは面白おかしそうにニヤついているが、起きたばかりで且つ頭もまだ寝ぼけている状態のシルギザンドは、何のことだかさっぱり分からないという顔をしていた。すると彼は、シルギザンドが居る客人用の居室に設置されている簡易洗面台の鏡を指差す。それから彼は、大口を開けて笑いながら言った。
「お前のその白い顔に、涎がべっとりだ。一億歳越えの年長エルフが、なんてザマを晒してやがる。ハハッ、お前は本当にどこまでも、常識破りの暴風殿下サマだよ!」
「えっ。――……ああああぁぁぁぁッ?!」
下船するまでの間、シルギザンドはギズルゼンスの予言通りという状態であった。船内ではバタバタと駆け回り、下船するにもどんちゃん騒ぎ。ギズルゼンスの部下たち――「霧開き商会」という商会のメンバーであると同時に、商会が保有する蒸気船ニグァル号の乗組員たち――も、そんなシルギザンドの姿に飽き飽きとしていた。
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――to be continue......